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2011-10-29

隻腕

「彼は昔、田舎に住んでいた。小さな駅を降りて、駅から離れたらもう田んぼばかりの風景が広がり、ぽつんぽつんと民家が建っているような田舎。どこを向いても山の景色が見え、大通りは舗装されていたけれど、脇道を少し進むともう砂利道で、大抵は山へと続く上り坂になっていた。……もちろん、私は実際そこを見たわけじゃないから、これは全部彼に聞いた話だけどね。

 小学生のころ、彼の遊び場は学校の校庭か山の中だった。その日、彼は友達と二人で山を散策していたけれど、途中でその友達は用事があると言って帰ってしまった。一人、山の中で遊んでいてもつまらない。けれどこのまま帰るのも勿体ないような、悔しいような気持だった。そうして彼は一度も使ったことのない獣道に足を向けた。

 ちょっとした探検。次の日、友達に自慢するための冒険。何もなかったら引き返すつもりで進んでいく。背の高い草や葉の繁った木が彼の視界を狭くしていた。迷いようのないただの一本道に思えた。進んで進んで、けれど何もなく、疲れてきたころに引き返そうとして振り返る。しかし一本だと思っていた道は、逆から見ると何本にも分かれていた。川の源流が支流へと枝分かれするように。彼が進んできた道は、その支流の一つだった。

 辺りは薄暗くなっていた。彼は不安を抑えながら、歩いてきた道を、歩いてきたと思える道を引き返す。この道でいいのか、この道で合ってるのか。分かれ道で迷い、片方に一歩を踏み出して、思い直してもう片方の道を進む。夜が近づく。けれど彼は獣道をさまよい続ける。疲れ果て、足が棒のようになり、彼は途中の木の根元にへたり込んだ。

 もう一生、ここから出られないんじゃないか。へとへとの頭でそんなことを思う。早く帰ろう。帰りたい。見る間に暗くなる空と焦燥感に押され、彼は少し休んだだけで立ち上がろうとする。地面に手をつくと、てのひらに妙な感触があった。土の感触ではない。ゴムのような感触。冷たい。恐る恐る目を落とすと、土に汚れた肌色が見えた。

 手だった。ほっそりとした女の手に見えた。ほとんどが埋まって、手の甲と何本かの指だけが地面から浮き出ていた。彼は息を止め、その手の甲についた土を払う。そのまま地面を掘り始める。宝石のように綺麗な手だった。それは彼にとって、冒険の末に見つけた宝物のように思えた。

 そのあとどうしたか、彼は憶えていないと言っていた。ただ、彼が今も生きていることを考えると、どうにかして家には帰れたのだろうね。

 彼が見つけたと言う女の手、あれは一体何だったんだろう。あれは本当に人の手だったんだろうか。彼は本当に掘り起こしたんだろうか。もしかしたら全部、子供のころに見た、夢か幻だったんじゃないだろうか。

 今でも彼は、あの手のことを思い出し、考え込むことがある。自分の手に残ったゴムのようなあの感触も、幻だったんだろうか、と。

 そしてそれが、その記憶が、彼が私に興味を持った一番の理由だろうね」

 そう言うと彼女は慣れた仕草で、左手の形をしたシリコンに自分の右手の指を絡めた。

「彼の想像の中にある私の手は、宝石のように綺麗なんだろうね」

ゲスト



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