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2011-07-02

夏なので

 融けていた。夏なので。ただ奥の畳部屋ではなく、廊下の板の間だったところに僅かながら彼女の気遣いが見える。気がした。

 肌色のスライム状になった彼女の身体に、頭と左手だけがまだ融けずにぷかりと浮かんでいた。スライムの横には脱ぎ散らかした感満載の彼女の服が落ちている。僕は若干のわざとらしさも込めて、ふーっと肩を落としながらため息をついた。

「えへへ」

 彼女が照れ笑いのような声を上げた。

「いや、えへへ、じゃなくて」

「暑くてさ、うん」

 しょうがないじゃん、と、いつもより低い位置にある彼女の目が言う。スライムに浮いたその頭を踏みつけたくもなる。喜ぶだけなのでしませんが。

 とりあえずまだ融けてない彼女の頭と左手を拾い上げ、冷蔵庫の冷凍室にしまった。全部融けてしまうとちょっと面倒くさいことになる。面倒くさいのは面倒なので避けたいものである。冷凍室の底で彼女が何か言いかけた気がしたが、気のせいなのでそのまま閉めた。

 それから冷蔵庫の横に二つ重ねて置いてある25ℓサイズのクーラーボックスを引っ張り出し、もう一度冷凍室を開ける。

「ほら、氷出さないとだめじゃ……」

 製氷機の中の氷を全部取り出し、また冷凍室を閉める。彼女の抗議っぽい声が聞こえてこなくもなかったが、何かに遮られているような遠い声だったので気にしなかった。

 クーラーボックス内に氷を敷いて、その上にビニール袋の口を開けてテープで留める。そこに溶けた彼女の身体をおたまで掬って入れていく。夏場、そのまま常温で放っておくとスライム状から液体状に変わってしまうのだ。難儀な人である。人であるかどうかは怪しい。

 掬って入れる。掬っては入れる。「賽の河原」という単語が浮かんだが気にしないことにした。クーラーボックスの中に溜まっていく彼女の身体は、外身と中身が混ざってピンク色になっていた。まるで人工着色料を混ぜ込んだようで、ストロベリーアイスの色にも似ていた。

 

 ご飯はスパゲティにした。決してパスタとかいうオサレなものではない。米よりも安上がりな食材である。鶏がらスープの素というのはとても素敵な調味料である。

「キミのこういうところ、けっこう好きだよ」

 彼女がフォークに巻きつけた麵を口に運びながら言う。若干動きがぎこちないのは、左手だからなのと冷凍室から出してすぐだからだろう。体はまだ固まっておらず、形成もできないので今ここにいる彼女は首から上と左手だけだった。

「何が?」

 僕は麵を巻きつける手を止めて、彼女のほうに目を向けた。

「わたしが食べやすいように、パスタにしたんでしょ?」

 抗議したい部分が二か所あったが、面倒なので黙っていた。僕はフォークに半端な巻きつき方をした麵を口に運ぶ。

「鶏がらスープうめえ」

 テーブルの上の彼女が身も蓋もない台詞を吐いて、にっかりと笑った。笑みの動きもまだ若干ぎこちない。

 僕は今冷凍室で固めている彼女の体のことを思う。固まったらまた元通りに形成しなくてはならない。面倒くさい気持ちが大半だったが、そうした細かい作業は案外好きなので、楽しみな気持ちも僅かながらあった。

 彼女は苦労してフォークに綺麗に巻きつけた麵を口に運んで嬉しそうにする。

 今の、頭と左手だけとか、そういう彼女を眺めるのも僕の猟奇趣味的なところでそこそこ好きだったが、それを言うと彼女の反応が面倒くさそうなので言わない。

2011-02-27

彼女の破片

 かしょん。かしょん。かしょん。

 彼女の左手が金槌を振り下ろすたびに、陶器が砕けるような軽やかな音がする。左手、利き手じゃないほうで持たれた金槌は当然握りが甘くなり、振り上げられるたび、振り下ろされるたび、彼女から逃れて、くるくると回りながらどこかへ旅立っていく想像をする。

 彼女の利き手は今、途切れて、キッチンペーパーを敷いたテーブルの上に置かれていて、かしょん、かしょん、と砕かれている。

 彼女の肌は陶器のように白くすべらかで、冷たく硬い。例えば彼女の肘に耳を当て、そのまま曲げてもらうと、関節部分が擦りあって、キュウッと、好き嫌いの分かれそうな音が聴ける。季節によっては少しばかりぎこちない動きになる。

 原型がなくなるまで砕き終わると、ただの破片になったそれを、用意していた深皿に移していく。グーで握ったオタマで不器用に。ほほえましいような気持ちで見ていると、むくれるように睨みつけられたので、僕もその作業を手伝うことになった。気をつけて、と彼女は言う。前に彼女の足の破片で指を切ったことを思い出した。白い破片が赤で濡れて、それはそれで印象深かったのだけれど。

 破片を全部深皿にのせ終わると、あとは牛乳とスプーンの出番だ。コーンフレークを想像してもらえればいい。牛乳をかけて、スプーンで掬って食べる。僕は食べない。彼女以外が食べると口や喉が傷だらけになるだろう。

 しょりしょりと彼女は破片を咀嚼する。少し前までは自分の腕だった破片を。右手は途切れているから、使い慣れていない左手で。スプーンにのった牛乳と彼女の一部。

 ときどき彼女はこんなふうにして自分を食べる。陶器みたいに硬い彼女は、ぶつけると少し欠けたり、小さなヒビが入ったりする。どこにも何にもぶつからずに生活するというのは実はけっこう難しいことで、頃合いを見て、砕いて食べて再生する。牛乳をかける必要はないのだけれど、何となく気分でそうしているそうだ。

 特にやることもないので、僕は彼女の食事風景をただ眺めていた。しょりしょりという音は、なかなかおいしそうなものに聞こえた。その気持ちが顔に出ていたのか、彼女は僕のほうにスプーンを差し出した。

「ん」

 「食べないの?」と言いたげに小首を傾げながら軽く上目遣い。スプーンの牛乳に沈む彼女の破片。僕は促されるままに口を開きかけて、けれどためらいつつ首を振った。

「ふうん」

 スプーンにのった破片が彼女の唇に差し込まれ、スプーンだけが出てくる。彼女はしょりしょりと咀嚼音を響かせる。おいしそうな音には違いない。

「どんな味?」

「……んー、食べてみればわかるよ」

 彼女の口の端が微かに、いたずらっぽく上がる。

「……死ぬまでに一度食べてみたいね」

「そう?」

「うん」

「ふうん」

 しょりしょり、しょりしょり。

2010-09-15

バニラ

 彼女は仰向けに、斜めに横たわって、ベッドから左肩と頭をはみ出させていた。三十分ほど前にクーラーのタイマーが切れて、何となく面倒でそのままにしているので、キャミを着た彼女の肩や胸元が汗ばんでいるのが見て取れた。その幼く細い肩は日に焼けて、夏の子供がそうであるように、小麦色だった。

「あつい」

 彼女の本日二度目の「あつい」発言に、私は立ち上がって台所に向かい、冷凍庫からアイスを取って戻ってくる。バニラの爽。ベッドの横を背もたれにして座り、爽の蓋を開けて木のスプーンで掬ったところで、彼女の「ん」と鼻を鳴らす音が聞こえた。目を向けると予想通り、彼女は口を開けて舌を出していた。犬のように。私は手を伸ばし、その赤い舌に爽をのせた。

「ふめたい」

 くわえられた木のスプーンを滑らせて、唇の隙間から抜き取る。アイスを舐める音。それから小さく喉を鳴らした。

「つめたい」

「そう」

「甘い」

「うん、まあ」

「ありがと」

「いえいえ」

「もっと」

 彼女がまた口を開ける。私はベッドに腰かけて、彼女の途切れた左腕に手を添えて、ベッドの中央のほうにずずっと押した。落ちそうなままだと気が気でない。

 私が掬ったアイスを彼女の舌にのせ、彼女は口の中でぴちゃぴちゃと舌を鳴らしてから飲み込む。私は座って、彼女は寝転んで。二回繰り返したところで食べにくそうだなと思い、アイスをベッド棚に置いて、彼女の背中に腕を回して抱え上げた。

 彼女を太ももの上にのせて向かい合う。彼女は太ももの途中までしかない足に力をこめて、私の太ももを挟むようにして自分の体を支える。もちろん私も彼女の背中に手を置いて支える。四肢がないとバランスを取りにくくはあるけれど、何度もやっていることなので私も彼女も慣れたものだった。

 彼女の背中から手を離し、ベッド棚に置いた爽を取って、木のスプーンで掬う。彼女の舌に掬ったアイスをのせて、同じスプーンを使って私もその冷たさと甘さを味わった。何度目かのときに彼女はバランスを崩して、途切れた右腕で私の肩を突いて体を支えた。これも慣れたもの、覚えのある感触だった。そのままの態勢で爽の最後の一救いを彼女の口の中に収める。

「おわり」

「うん……」

 口の中のアイスを溶かして飲み込んでから、「おいしかった」と彼女は言った。

 彼女をベッドに横たえて、その弾みで頬にかかった髪を整える。整えながら頭を撫でる。眠たくなりそうにゆるゆる撫でていると、彼女が何かを言おうと口を開いて、でも口にする直前で忘れてしまったらしく、そっぽを向いて小首を傾げた。私はそれを見て息を吐くように笑い、顔を寄せて囁くように言う。

「今度その顔にアイス塗ろうかな」

「んー?」

「で、その塗ったアイスを舐める。頬とか鼻とか、つけたアイスを舐めてく」

 私はそう言いながら彼女の頬に人差し指を置いて、くすぐるように滑らせた。

「わぁ……」

 彼女はわざとらしい歓声を上げてから、唇の端を歪めて楽しそうな含み笑いを漏らす。

「そういう、劣情?」

「……いや、劣情とか、そういうんじゃなくてね」

 彼女の口から「劣情」という聞きなれない言葉が出てきたので、少しだけ動揺する。

「劣情」

 彼女は私の動揺を的確に読み取って言葉を繰り返す。

「どこで覚えたの? そんな言葉」

「んー、どこ……? テレビ?」

「うーん、こういうのどうなんだろうね。別にいいのかな」

「劣情した?」

「あはは。たぶんそんなふうには使わないと思うけどね」

「そうなの?」

「そうなの」

 頷きながら彼女の額を撫でて、右の眉毛の上辺りにキスをする。彼女は右目を瞑って、左目だけで私をじっと見つめる。その顔が少しむくれたように見えたのは、誤魔化された感じになったのが悔しかったのかもしれない。

「汗、拭く?」

「……うん」

 私は立ち上がってまた台所に向かい、今度はタオルを濡らして戻ってくる。首筋をなぞる濡れたタオルの感触に、彼女は気持ちよさそうに目を細める。猫のように。

「クーラーつけようよ」

「ああ、まあ、そうだね」

 あんまりクーラーに当たりすぎるとよくはないだろうけど、実際彼女の汗を拭く作業をしているだけで汗が染み出てくる。私は床に転がっていたリモコンを拾い上げて電源ボタンを押す。ピッという電子音のあと、クーラーの送風口が開いて、シューッと音を立てて風を送り始めた。

 彼女が目だけを動かしてクーラーを見ながら言う。

「クーラーに劣情する」

「いや、それ違うから」

「んー、そうなの?」

「そうなの」

「むずかしい」

「うん、むずかしいねえ」

2010-08-15

 白く細い肩に淡い紫色のキャミソールドレスの肩紐が掛かっていた。今日も昨日と同じように青く晴れて、日なたの場所に十分か十五分もいれば日焼けをして、肩紐の線が残ってしまいそうだった。でもそれも可愛らしいかもしれない。子供の日焼けは夏の風物詩だ。

 ベッドに横たわる彼女の細い腰に腕を回し、身体を寄せて抱え上げる。十歳の女の子の平均体重は三十四、五キロだそうだけれど、彼女は手足がない分、もう少しばかり軽いだろうか。私は彼女を抱えたまま、階段を軋ませながら一階に降り、階段横に置いていた車椅子に彼女をそろりと乗せた。麦藁帽子で彼女の長い黒髪を隠して、私自身はリュックを背負い、キュッと走り出しの車輪の音を立ててから玄関に向かった。段差に気をつけながら玄関を降りてドアをくぐり、外に出ると、蝉の声に迎えられた。他の虫の声も蝉の声に消されがちになりながらも聴こえた。

「見えない」

 彼女の短い小さな声がして目を落とすと、麦藁帽子がずれて彼女の視界を遮っていた。

「ごめん」

 車椅子を一旦止めて、麦藁帽子を被せ直してまた押していく。

「いいよ、許す」

「どうも」

 ログハウスの短い階段を慎重に降りる。そこから舗装された道路までは、でこぼこの土の道が十メートルほど続き、車椅子を転がしにくく、ガタガタと揺れる。けれど、車椅子が揺れるのを彼女は楽しんでいるようだった。「んんっ」と鼻を鳴らすように笑う声が何度か聞こえた。

「さて、どちらに向かいますか、お嬢様」

 アスファルトで舗装された道路にまで辿り着いたところで、私はふざけた口調で聞いた。

「こっち、左」

 彼女は左のほうに顔を向けながら言った。

「……ん」

 私はためらう気持ちを押し殺しながら頷いた。

 道路を右にいくとゆるい上り坂、左にいくと急な下り坂が待っている。お嬢様は左に向かうことを望まれた。そろそろと車椅子を押し、一人で歩くとしてもひやひやするような下り坂へと進む。

「あは。こわいこわい」

 ちっとも怖くなさそうに彼女は言う。気を抜くと重力に負けそうになり、私のほうが怖い。彼女が車椅子から落ちないよう、後ろに傾けながら押していく。三十メートルほどを倍くらいの時間をかけて進んだ。

 坂の終わりはT字路になっており、今度は左に曲がればゆるい上り坂、右に曲がればゆるい下り坂になっている。私はそこでようやく一息ついた。

「あー、こわかった」

 むしろ楽しそうに彼女は言った。私は車椅子を右に方向転換させてまた押していく。

 山の天気は変わりやすいというけれど、今のところ雲は西の空にぽつんとあるだけで、一、二時間の散歩に影響はなさそうだった。このまま道なりに進むと、新緑に染まった山間の景色が望める広場に出る。そこは生い茂った雑草と、その合間を縫うような細い道、ただそれだけしかない原っぱで、実際景色を眺めるくらいしかできない。しかし、だからこそよい場所なのかもしれないと思う。

 十分ほど歩いたころ、こめかみに汗が流れていった。山は平地より涼しいとはいえ、日はまだ高く、望んでいなくとも存分に夏を感じることができる。日陰の場所を歩きたくとも、真昼の影は当然のこと短く、直射日光を浴び続けなくていけない道もある。彼女の白い肩にも日が当たって眩しかった。麦藁帽子がその首筋を影にしているけれど、やはり暑そうで、ただ木々の隙間からときどき覗く、遠くの新緑を楽しんでいるようではあった。

 広場に着いたところで私は車椅子を止め、リュックを下ろし、中から500mlのペットボトルを取り出した。お茶のフィルムが貼られているけれど、中には水が入れてある。といっても、ここの山の水道から流れ出てくる水は、コンビニなどで売られているブランド水とさほど味の差はないように思えた。キャップを外し、彼女の口元に飲み口を近づける。

「水、飲む?」

「うん」

 唇に押し当て、そっと傾ける。こく、こく、こく、と三度喉を鳴らすのを聞いて、ペットボトルの傾きを戻した。

「まだ飲む?」

「ん、もういいよ」

 私はもう一本のペットボトルを取り出し、それで喉を潤してからまた車椅子を押した。景色がよく見える場所へと移動する。

 彼女が言葉で指示を出して、私が指示された景色をデジタルカメラで撮る。撮ったものを彼女に見せて、また指示をもらって撮り直す。もっと右。あの高い木が真ん中から少し左にくるように。一センチくらい空を広く写して。あそこのちょっと黄緑っぽいところ、左下に。あの雲とあの塔を一緒に写して。

 私はおままごとやゴッコ遊びをしているような気持ちになったけれど、それはそれで悪くはなかった。彼女も楽しそうだったのでよかったのだろう。

 汗だくになりながら、私は三十枚ほどの写真をデジタルカメラに収めた。その中には彼女の姿もある。車椅子に座る、私よりもシンプルな形をした彼女の姿。

 写真の中だけでなく、生身の彼女の姿にも私はギクリとさせられる。肘掛に肘は乗ってなく、キャミソールドレスの裾から本来見えるはずの足もない。見てはいけないものを見てしまったような気持ちになり、そんな気持ちになったことで、胸のうちに灰色の靄が掛かる。これはいわば罪悪感というものだろうか。けれど、罪悪感など抱いていいものだろうか。そうした迷いが、気持ちが仄暗いところに向かうことを止めていた。

 彼女の姿をずっと眺めていたいと思う。決して豊かとは言えないまでも、僅かずつしなやかに変わる表情。年相応に生意気な言葉遣い。急な下り坂を喜ぶような無邪気さ。それらを独り占めしておきたくもあり、ふれ回って自慢したくもあった。

 彼女の唇にペットボトルの飲み口をつけて、二口ほど残っていた中の水を流し込んだ。彼女は喉を鳴らしたあと、ふうっと小さく息を吐く。

「そろそろ帰ろうか」

「……うん」

 そう頷いた彼女は少し眠たそうだった。私は彼女の麦藁帽子を目深に被せ直してから、車椅子を押した。きた道を戻る。道の途中で彼女はすーすーと安らかな寝息を立てはじめた。気持ちよさそうに小さく胸を上下させる。

 日はさっきよりも低くなり、多少はゆるやかな日差しに変わったけれど、流れる落ちるほどでもない汗が滲んだ。汗を吸ったシャツが胸と背中に貼りついて、そこだけひやりと冷たかった。

 彼女のキャミソールドレスも胸のところに汗が染み込んで、淡い紫色と濃いめの紫色で少し斑になっていた。彼女の細い肩がうっすらと日に焼けていた。予想したとおりに肩紐のあとが白く残り、それを見ていると、寂しいような愛おしいような気持ちになるのが不思議だった。

2010-06-01

木曜日の遅い昼食


頭蓋骨持ち歩き少女賞応募作です。長いです。



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