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2013-02-11

川辺に女子中学生

 野良。という言葉には獣のイメージがある。四足歩行で、全身に毛が生えていて。鶏なんかも野良のイメージでいい気がする。二足歩行で翼があって羽毛が生えて。でも鶏以外の鳥は違う気がする。野鳥と言う言葉もあるし、やはり鳥だと鶏以外に野良は似合わない……いや、ペンギンも野良でいいかもしれない。共通点は飛べない鳥ということだろうか。

 そんなことをつらつら考えながら、わたしは家の近所の川辺に、いつもの場所にしゃがみ込んだ。持っていたスーパー袋をすぐ隣に置く。がさがさぱりぱりという音がして、けれどすぐに収まった。背後に堤防があって、町の音が遠い。はぁっと浅く息を吐く。川のすぐ傍は空気が冷たい。頬がひんやりとして、うっすらと痛かった。目の前の川を眺める。二十五メートルプールよりもずっと幅広い。対岸まではどのくらいだろう。冬だろうが夏だろうが、泳いで渡ろうとしたら、溺れて流される自信があった。向こう岸にビルの灯りが見える。冬の夜はやってくるのが早く、もう辺りが薄暗くなっていた。

 スーパーの袋をがさごそして、中からポッキーを取り出した。おにぎりと新発売のポテトチップスとペットボトルのお茶も取り出して、川辺に適当に転がした。レジ袋をお尻の下に敷いて座る。冷たい土と砂利の感触があった。

 ポッキーのパッケージを開けて、中の袋も開けて、中の一本を取り出すと、歯でパキンと鳴らした。そうしてわたしは鯉を思う。お金持ちの家で飼われている池の鯉。手を叩くとそれが餌の合図で、池から顔を出して口をパクパクさせる。パキンともう一度鳴らす。このポッキーの音もいつの間にか合図のようになっていた。パキン。

 薄暗い中、川が静かに波立って、何かがその中を泳いでくるのがわかった。川魚にしては大きい。金魚のように揺らめきながら、ちゃんとわたしのほうに向かっている。水のフィルター越しに見えるその姿は黒々としていて、知らない人が見ればナマズかと思うかもしれない。彼女は浅瀬まで泳いできて、わたしを見つけると鯉のように口を開けた。わたしはそっと手を伸ばし、冷たい川から彼女を掬い上げた。長い黒髪が水を滴り落としながら、彼女の頬に貼りついて、滑ってまた流れる。

 観賞用の女子中学生は首から上しかない。本来は水槽の中で飼われていて、特殊な溶液がないと数日しか生きられないはずだった。けれども今わたしが掬い上げた女子中学生は、かれこれ二ヵ月は生きている。野生化した、野良の女子中学生だ。

 野良の女子中学生は半年ほど前にネット上で話題になっていた。川や海で女の子の首が流れているのが何度か目撃された。実際は流れているのではなく泳いでいるのだけれど、そんなのは見分けがつかない。連続猟奇殺人かという煽りに対し、識者……というか、たまたまそれを知っていた人間が説明した。

 あれは観賞用の女子中学生で、飼えなくなった無責任な誰かが川に放したのだろう。それ用の溶液がないと長くは生きられないので、数日もすればいなくなるだろう。

 しかし、数日経っても、数か月経っても、観賞用の女子中学生はちらほらと目撃された。そうしてネット上での無駄に楽しそうな罵り合いが始まり、その末に、詳しいことはわからないが、きっと放された多くの女子中学生の中に、自然に対応したのが何種かいたのだろう、というところに落ち着いた。今は飽きられたのか、特に話題に上ることはなくなっていた。

 わたしの両手の中の女子中学生は、わたしが咥えているポッキーを見据えながら口をパクパクさせていた。顔を近づけて、ポッキーの反対側を彼女の口元に持っていくと、歯を立ててパキンと鳴らした。チョコのついていないところだったので、彼女はまた薄く口を開ける。軽く彼女を持ち上げて顔を近づける。パキンとポッキーのチョコのついている部分が鳴った。彼女はさくさく口の中でスナックを鳴らしながら、幸せそうな顔をする。

 観賞用の女子中学生も、人と同じものを食べるのだそうだ。お菓子をあげてもかまわないのだけれど、やはりご飯のほうが良いらしい。わたしは彼女を川辺に置くと、転がしていたおにぎりを手に取った。

 海苔をパリパリしながら、斜め後ろから彼女の横顔を眺める。わたしも彼女の川のほうを向いていた。彼女は水からあげても苦しそうにしないのだけれど、多少心配なので、必要がない限りは浅瀬の水のある、手の届くところに置いておくことにしていた。今はおにぎりをむぐむぐして頬をふくらませている。

 おにぎりを食べ終えてから新発売のポテトチップスを開けた。ゆず胡椒とぽんず味だった。よく確かめないで買ったわけだけれど、彼女の評価はどうだろうか。片手の指先を浅瀬につけて、彼女の口元にポテトチップスの一枚を持っていく。パリン、サクサク。としたあとで、数秒難しい顔をして、それから小さく頷く仕草をした。まあ、悪くないんじゃない、といったところだろうか。

 ほとんど日が沈み、川の不気味さがじわじわと染み出てきたところで、くしゃみが出た。ポテトチップスも大方わたしと彼女で噛み砕いてしまったので、わたしは立ち上がって彼女に手を伸ばした。顔を正面に合わせて、彼女の濡れた髪を指で軽く梳いてやると、彼女は犬や猫のように気持ちよさそうに目を細めた。水棲生物のはずなのにね、と胸の中で呟く。

 また彼女を浅瀬に置いて、押し出してやると、ちらりとわたしのほうに目をやってから、ゆらゆらと川の中に泳いでいった。ゆっくりと視線を巡らせると、川の真ん中辺りに黒い影が泳いでいるのが見えた。そっちの彼女はショートボブのようだった。彼女を迎えにきたのかもしれない。

 想像はする。

 川の中には大勢の、首から上だけの女子中学生がいて、待ち合わせをしたり、集まったり、じゃれ合ったり。わたしや他の人が知らない場所で、その暮らしを楽しんでいる。ときに彼女同士でいがみ合い、すれ違ったり、悲しんだりもする。陸に棲む彼女たちと同じように、首だけの彼女たちが集まり、じゃれ合っては、はしゃいでいる。

 その光景はきっと不気味なのだろう。けれど、わたしには同時にどこか微笑ましくも感じられた。

 川の中を泳ぐ二つの黒い影は、仲のいい犬がじゃれ合うように体をこすり合わせたあと、並んで下流に泳ぎ出し、やがて川の底へと消えていった。