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2008-06-29かたわ少女

[]水彩2/2

 寮で同室になったのは、幼いころの事故で両足を失った子だった。見慣れない形の義足を嵌めていた。寮には一応、ボランティアの女性も働いていたけれど、基本的には生徒同士で助け合って生活するようにと指導されていた。両手のないのと両足のないのがセットというのはわかりやすい組み合わせだなあ、と最初のときに思った。

 挨拶と自己紹介のあと、彼女は「よろしくね」と手を差し出してきた。それからすぐに、「うわっ、えっと」と手を引っ込めて、顔を赤くしておろおろし始めて、わたしはつい吹き出してしまっていた。

「こちらこそ、よろしく」

 何とか笑いをおさめてからそう言って、自分の短い腕を差し出した。彼女はおそるおそる腕の先を握って、恥ずかしそうに微笑んだ。

 雰囲気や笑ったときの印象が、中学のころの美術部の友達に似ていた。違っているのは、いつもどたばたと走り回っているところ。彼女の義足はカーボン製になっており、遠目からだと膝から先に大きな靴ベラをつけているようにも見えた。それは主に走るための義足だそうで、カーボンの反発力を利用しているのだと説明された。

 走るのが、というよりも運動全般が好きな子で、寮生の中では際立って明るかった。きっと、彼女の明るさに助けられている人間は多いのだろう。

 わたしはといえば、相変わらず色の乏しい絵を描いていた。美術部は中学ほど活発ではなく、ほとんどが名前だけの幽霊部員で、真面目にやっているふうのわたしのことを顧問の先生は喜んでいた。顧問は一応美術の先生だけれど、ほどよく枯れた感じのおじいちゃんで、部室にきても備品のようにして置いてあるポットや急須を使ってお茶を入れたり、窓の外をぼんやり眺めていたりしているだけで、指導をしているところなどは見たことがなかった。

 部室の窓からはグランドが覗けた。放課後になると走り回っている彼女の姿を見つけることができた。彼女のほうでもよくわたしを見つけて、満面の笑みを浮かべて大きく手を振り、そして部活の先輩に怒られていた。

 生活の上では朝が大変だった。手のないわたしは着替えが困難だ。シャツを羽織るだとかはできるのだけれど、ブラをつけたり、シャツのボタンを留めたりするのも難しかった。着替えを手伝ってもらうべき相手は、運動している人間にありがちな低血圧で、起こしてもすぐにまた二度寝をするということが何度もあった。彼女は自分の着替えを済ませたあと、わたしのブラをつけているときにでも、胸の大きさについてよくぶつぶつと不平を漏らしていた。中三の秋ごろから急に大きくなり出したわたしの胸を、恨めしそうに睨むのだ。「走るときに邪魔じゃないの、こんなの?」と言っても、「それはそうだけどさ」となかなか納得できないようだった。

 一ヶ月ほどして、生活指導の先生にズボンを穿くように言われた。倫理上の問題だそうだ。納得できない物言いだったのだけれど、従うより仕方がなく、ただ着替えやトイレのときが少し面倒くさくなって、同室の彼女やボランティアの人と一緒に愚痴ったりもした。

 入学当時はいくらか不安があったりもしたのだけれど、わりとすぐにそうしたものは感じなくなっていた。それには同室の彼女の存在が大きいのだと思う。文句を言っているときでも陰湿にはならず、何かに嫌なことがあったとしても、翌日にはからりと笑い、何ごともなかったかのように走り回っている。そんな彼女の姿を見ていると、知らずに笑みを浮かべてしまうこともあった。彼女の明るさが眩し過ぎて、胸の奥にふっと影が差すこともあるのだけれど。

 五月の終わりごろ、彼女と大きなケンカをした。夕食後の部屋でくつろいでいるときで、その日のメニューの好き嫌いというどうでもいい話から発展した。二ヶ月近くも同じ部屋で生活して、気心が知れてきたのもあったのだろう。大声を張り上げて怒鳴り合うわたしと彼女を、別のわたしが斜め上から見下ろしていた。

 わたしは、いつまでも絵に色を塗れないでいる自分への憤りと、同室で世話をかけている彼女に対する負い目を感じていた。彼女はわたしのことを疎ましく思っていないのだろうか。あれだけ動き回ることが好きな彼女が、わたしのために使う時間を不満に思っていないのだろうか。そんな恐れのような気持ちで怒鳴り声を上げていた。

 すぐに別に部屋の子達が入ってきて宥められたのだけれど、口も利かないまま、着替えもせずにそれぞれのベッドで背を向けて横になった。しばらくして彼女が黙ったまま電気を消した。暗い部屋の中で、目を瞑っても気持ちが高ぶってなかなか寝つけなかった。彼女も同じだったようで、ときどき衣擦れの音が聞こえた。それでも、ずっと目を瞑っていると、いつの間にか眠りに落ちていた。

 低い呻き声のようなものが聞こえて、ふと目を覚ました。声は背中のほう、同室の彼女のほうから聞こえてくるようだった。わたしはそろりと寝返りを打ち、光の少ない中で彼女の輪郭を捜して目を凝らした。すぐにベッドから降りて、彼女のそばにいった。

 彼女は苦しそうにうなされていた。目の端から涙をこぼし、聞いたことのない誰かの名前を必死な様子で呼んでいた。今までにそんな彼女を見たことがなく、わたしはケンカをしていたのも忘れて、起こすときにそうしているように彼女の肩を足で掴んでぐいぐいと揺らした。

「……ん……なに?」

 しばらくすると眠そうないつもの声が返ってきて、それで少しほっとした。わたしのほうに向いている薄く開いた目が、閉じたそうにゆっくりと二回瞬きをした。彼女をこのまま夢の中に戻してしまってはいけないような気がして、何かないかと焦った末に思わず口走っていた。

「トイレ」

 言ってしまってから、何を言ってんの、と自分で思った。彼女は不思議そうに軽く首を傾けた。

「おしっこしたいから……手伝って」

 中途半端な間のあと、「あ……、うん……」と彼女はのそのそと起き上がり、目をこすりながら欠伸をして、おぼつかない足取りで部屋のドアのほうに向かった。

 並んで廊下を歩いているうちに意識がはっきりしてきたらしく、彼女は横目でわたしを見て、何か言いたそうに口をパクパクさせた。目線をふらつかせ、へその辺りで無意味に手を組んでは解いたりした。

 トイレの手伝いを同世代の子に頼んだのは初めてだった。いつもは流石にボランティアの人に頼んでいる。まず口走ったわたしが戸惑っていたのだけれど、彼女のほうがもっと戸惑っている気がして、逆に少し落ち着いた。そうしているうちに「W.C」と書かれた表札が見えて、もう引き返せないような気持ちになっていた。

 個室の中で彼女は赤い顔をしながらわたしのズボンとパンツを下ろし、「じゃあ終わったら言ってね」と逃げるように出ていった。個室は車椅子でも入れるよう広いスペースを取ったもので、ドアを引き戸にした、鍵を閉めなくてもさほど問題ないような作りのものだった。ドアの真ん中やや上辺りのあるガラス窓は、中が見えないように加工されており、そこに同室の女の子の後頭部がぼんやりと透けて見えていた。わたしは洋式便座の上に生身になったお尻をのせて、何秒か躊躇ったあと、それほど差し迫ってもいなかった尿意を開放させた。

 体内にあった温水が滑らかな水面をかき乱す音を聞きながら、ドアのすぐ向こうで同じ音を聞いて顔を赤らめている彼女を思い浮かべて、わたしはつい頬をゆるめていた。ほどよい開放感に浸ったあと、ゆるんだ頬を引き締めてから、ドアの向こうに終わったことを告げた。

 個室に入ってきたときの彼女の顔は予想通りに赤く、それでも何てことないと言いたげな表情でトイレットペーパーをカラカラと回した。ただ、拭かれるときには、わたしの頬もわぁっと熱くなった。彼女の口元が笑みを作るのが見えた。けれど、やっぱり顔は赤いままで、自分の顔が彼女と同じように赤いのもわかっていて、何てことないという振りをしてそっぽを向いた。

 翌朝はほとんど無言で朝の支度をした。怒っているのではなく、何か気まずいような感じで、そうした雰囲気が周りに伝わったのか、ほっとした顔をされたり、からかうようにニヤつかれたりした。

 その日の放課後には、めずらしく彼女が美術部の部室にやってきた。そのとき部室にいたのはわたしだけで、

「えっと」

「うん」

 という意味のない言葉を交わしたあと、お互いすぐに目を逸らした。わたしはただぎこちなくスケッチブックに鉛筆を滑らせ続け、彼女は所在なさげに部室の中をうろついたり、お茶を淹れたりして気まずさを誤魔化していた。やがてぽつぽつと、まるで風景画の彼とそうしていたときのようなペースで言葉を交わした。

 彼にはまだ手紙を出していなかった。「手紙を書く」と約束したのだけれど、いざと便箋に向かうと何を書いていいのかわからなくなった。「色を塗れるようになった」と報告するのが一番いい気がして、何度か画用紙に向かってみたのだけれど、パレットに色を落としていくと次第に気分が悪くなり、絵筆を持つとくらくらと眩暈がした。どうしても浮かんでくる赤に指が震えた。

「色、塗らないの?」

 彼女はそこら辺に転がっていたわたしのスケッチブックを開いて覗き込んでいた。色の乏しい絵。それだけが増えていた。

「……うん」

 色を塗れない理由を話したいような、けれど話してはいけないような気持ちで、わたしはただ頷いていた。

「じゃあさ、あたし、これ塗っていい?」

 鉛筆を滑らせていた足を止めて、思わず彼女のほうに顔を向けた。

「これ」

 彼女が指差した絵は、グランドを駆ける彼女自身だった。陸上用のトラックコーナーを、身体を少し斜めにしてカーボン製の足で駆け抜ける。真剣だけれど、楽しそうな顔をしていて、彼女は本当に走るのが好きなのだと改めて思った。

「あ……、駄目だった? そういうの」

 わたしがじっとその絵を見つめていると、彼女は叱られた子犬のように表情を曇らせた。

「いや、そんなことないよ。うん、全然大丈夫、色塗って」

 わたしが慌ててそう言うと、彼女は無邪気に「うん!」と頷いて、いつもの満面の笑みを見せた。

 わたしは床に座って、彼女は床に寝転がって絵を描いた。シャッシャッという鉛筆の音と、ペタペタという絵筆の音。窓の外から聞こえてくる部活の音。それらに促されるように、彼女が少しだけ自分の昔話をした。

 彼女には一つ下の弟がいる。仲よく遊んだりケンカをしたりする、どこにでもいる姉弟だった。彼女が小学二年になり、弟が幼稚園から小学校に上がったその年のこと。いつものようにつまらないことでケンカをして、その夜は口も利かずに眠りについた。二人とも生意気に、頑固になり始める時期で、翌朝になっても機嫌が直らず、「死ね」とか「いなくなれ」とか言い合って、普段は一緒に登校するのに、その日はお互い別々の、いつもとは違う登校ルートを選んだ。

 軽い気持ちで発したはずの憎まれ口が、まれに信じられないほどの重さになって返ってくるときがある。彼女が事故で両足を失ったのは、その登校途中だった。

 事故のあと、彼女が目覚めたとき、弟は泣くこともできずに、感情をなくした能面のような顔をしていたそうだ。昨日の夜、夢の中で彼女が必死に呼んでいたのは弟の名前だった。

 想像でしかない。きっと彼女は明るくなくてはいけなかったのだろう。明るく振舞わなければいけなかった。いつしかそれが彼女の性格になった。嫌なことがあっても、翌日にはからりと笑う、そんな性格にならなければいけなかった。

「……わあ」

「えー、綺麗じゃない」

 スケッチブックの中の彼女はすごいことになっていた。白であるはずの体操着は赤と黄緑で縞々に塗られ、短パンはオレンジ色、カーボン製の足はピンク色に染まっていた。ふと、何も考えずに色を塗っていたころの自分を思い出して、でもここまで派手じゃなかったなと思い直した。水彩絵の具をまるで油絵のようにしてこってりとのせ、もったいなく思ったのか、それを筆で削ぎ取って別のところを塗るものだから、色が混ざってところどころマーブル模様になり、さらに基本的に原色を使っているせいか、あまり目に優しくない絵になっていた。ある意味才能かもしれない。

「これ、元々何描いてたんだっけ?」

 彼女は、はみ出すことにもまったく無頓着なようだった。

「何よ。いいじゃない。綺麗じゃない」

 体操着に塗られた赤の一部が、他の色と混ざって黒みがかり、まるで血のような色になっていた。赤黒い血。毒々しくて綺麗な赤。目を奪われて、背中の辺りがぞわりと泡立った。赤いものを滴らせた猫が浮かんで一瞬息が止まり、ゆっくり二回深呼吸をした。

 でも、それだけだった。

 彼女が頬を膨らませながらわたしの顔を覗き込んでいた。

「うん、素敵だよ、とても。なんていうの、個性的?」

「うー」

 そのことがあった日の週末、一度家に帰ることにした。何故だかそうしなければいけないような気持ちだった。外泊届を出すとき、事務の人にもう少し早く出すように注意された。基本的には少なくとも一週間前には届を出しておく規則になっていた。来週からはもう雨が多くなるだろうし、傘を差せない身としては雨の日に帰るのはちょっときついから、とお願いすると、仕方ないなという感じに許可が下りた。

 日曜日はちゃんと晴れていた。家に帰るとまずご飯を食べさせられた。お刺身の盛り合わせとロールキャベツ、一口コロッケ、大根のお味噌汁、ほうれん草の胡麻和え、レタスとトマトと薄切りキュウリに和風ドレッシングをかけたサラダ。好き嫌いがあるほうじゃないつもりだったけれど、それでも「けっこう好きな気がするもの」や「子供のころに好きだったもの」が並んでいるのがわかった。

 食事中は質問攻めにされた。ちゃんと食べているし、学校にも馴染めているし、寮でも同室の子とうまくやっている。要約するとそんな感じになることを、言葉を変えて何度か繰り返し説明した。そうすると両親とも安心したように、けれど少しさみしそうに頷いた。どっちだよと思うと同時に、でもそんなものかもしれないとも思った。

 ご飯を食べたあと、少し落ち着いてトイレを済ませてから、お昼過ぎに「友達に会ってくる」と家を出た。待ち合わせ場所に向かう途中、子供のころよく絵を描いていた公園があり、そうするのが自然なことのように立ち寄っていた。ベンチに腰かけて公園の中を見渡した。あの日、虎縞の猫が眠っていたベンチ。記憶の中の公園より狭く感じるのは、それだけの時間を通り過ぎたからだろう。暑くなり始めて、けれどまだ暖かいと言える日差しに、寝転がって丸くなりたい気持ちにもなった。

 そして、その姿を描かれる。子供のころのわたしに。短肢の女子高校生が、首と口の端から赤黒いものを滴らせながら、幸せそうにベンチで丸くなっている。

 ぼんやりとそんな光景を思い浮かべていると、ふいに「あらあら」という女性の声が聞こえ、ゆっくり声がしたほうを向くと、見知った顔がそこにあった。子供のころ、よく水彩バケツに水を汲んでもらっていたおばちゃんだった。

 隣に座られ、促されて、おばちゃんに自分の近況を話した。中学を卒業してから寮のある高校に入って、同室の子は両足に義足を嵌めていて、でも元気に走り回っているような子で、今日は里帰りの一日で、明日にはまた寮に戻る。

 おばちゃんはしきりに「えらいねえ」だとか「すごいねえ」だとか相槌を打って、目を細めていた。それが何だか照れくさくて、わたしは公園内に目をさまよわせてから、ふと思いついたことを聞いた。

「よくここで見かけた猫のこと、覚えてます?」

 言ってから、それがいちばん知りたかったのだろうなと思った。わたしが描いた猫。虎縞の成猫になる途中だったあの猫。生きているのか、死んでいるのか。

「猫?」

「あの、虎縞の、小学校のときからいた……」

「ああ……、今日はまだ見てないけどねえ」

 猫はちゃんと大人になって、他の猫とケンカしたり、顔見知りの人間にエサをねだったり、ベンチで丸くなったりしているようだった。おばちゃんの言葉を聞きながら、わたしは気づかれないようにそっと息をついた。それが安堵のものか、落胆のものかを考えて、あのときとは違う感じに軽く首を振った。

 まだ絵を描いているのかを聞かれて、少しためらったあとに頷いた。また「えらいね」と言われ、「そんなことないですよ」と笑みを返してから立ち上がった。

「じゃあ、あの、駅のところで友達と待ち合わせしているんで」

「ああ、そうなの。ごめんなさいね、引き止めちゃって」

 手を振るおばちゃんに見送られて、会釈して公園を出ようとしたところで、足元を何かがするりと通り抜けた。立ち止まって振り向くと、虎縞の子猫の後姿があった。

 駅前で何分か先に着いていた友達に、「遅いよ」と肩をつつかれた。にっこり笑った顔がやっぱり同室の彼女と似ている気がした。歩きながらそのことを話すと、何故だか段々機嫌が悪くなっていくようだった。どうしたんだろうと首を傾げていると、「たこ焼き食べようよ」と、どこかそっけない態度で、たまたま目についたらしい赤い暖簾に近寄っていった。わたしは買い食いをした経験がほとんどなく、戸惑っていると、目で「おいでよ」と呼ばれた。

 店の前にはいくつか小さなテーブルが並べられており、そこで食事ができるようになっていた。お互い昼食後ということでそれほどお腹は空いてなく、八個入りを二人で分けた。隣に座った友達にまだ熱いたこ焼きを口に押し込められながら、今日は餌づけされる日だなあ、と思った。

「何かねえ……」

 わたしの口元に紙コップに入ったペプシコーラを近づけて、友達はぽつりと呟くように言った。

「大丈夫そうでさあ」

 わたしはストローから黒い液体を吸い上げながら、ただ横目で友達の顔を眺めていた。友達はどこか恥ずかしそうに目を伏せて、口元に照れくさそうな笑みを浮かべていた。

「何かね、何か……悔しい」

 友達はコーラをテーブルに置き、私の肩やわき腹をグーで小突いてきた。指の骨は硬かったけれど、小突く感触は柔らかく、でも「ちょっ、やめて、いや、だから」と言ってもずっと小突いてきて、少し鬱陶しくなったので、つま先で軽く脛を蹴った。

 同室の子と少し前にケンカしたことを話すと、友達はほんのりと嬉しそうにして、それから複雑そうな顔つきをして、その心境を隠すように目を伏せた。ちゃんとした手があればなあ、と思うことが友達といるときは多い。座ったまま少し身体を沈めて、わき腹を短い腕でつついた。トイレのことはさすがに話さなかった。コーラの残りを友達に押しつけながら、ふとしたときに蘇ってくる恥ずかしさと戦った。

 友達の家にいって、漫画を読んだり、画集を開いたり、お互いのスケッチをしたりした。そういえば、中学のときは何故だか友達を描いたことがなかった。わたしが絵の中で友達にパンクロッカーのようなメイクを施して首輪をつけると、友達も喜んでわたしに猫耳と左右に三本ずつの髭と鈴つきの首輪をつけ足した。

 帰るときにまた抱きつかれた。望んだところで腕が生えてくるわけはなく、わたしはやっぱり友達の肩に頭を押しつけてぐりぐりした。薄く開けた目に、わたしの胸に埋もれた友達の表情が映って、はたと冷静になり頭を動かすのを止めた。

「あのさ」

「ん? 何?」

「君、もしかして、胸の感触楽しんでない?」

「…………そんなことないよ」

「今、間が空いたよね?」

「そんなことはございませんのです」

「どうしてあなたはそんな丁寧な言葉遣いをなさるのですか?」

 それとなく誤魔化されながら夕方を歩き、駅前のところで軽く立ち話をして、お互いに手紙書くようにと言い渡してから別れた。大きく手を振る友達に、寮で同室の彼女の姿が重なった。

 月曜日は朝から雨が降っていた。放課後になっても降り止まず、部室から望んだグランドに人の姿はなかった。今日も美術室は一人だった。わたしは棚から適当なパネルを引っ張り出して、ケンケンをするみたいにイーゼルのところに持ってきて立てかけた。床に座って、近くに転がしていたスケッチブックを開いた。一枚だけ色のついたのがある。カーボン製の足で駆け抜ける一人の少女。やけに派手な服を着ている。塗られている色で輪郭がわかりにくかったけれど、それを見ながらパネルに鉛筆を滑らせた。簡単な下描きを終えてから、この前彼女が使っていた絵の具セットを床に広げた。毛抜きを使って絵の具のキャップを開け、パレットの上に落とした。赤と黒を隣り合わせにした。途中で顧問のおじいちゃんが部室に顔を出して、わたしは水彩バケツに水を汲んできてくれるように頼んだ。おじいちゃんはスケッチブックとわたしの下描きを見て、「へえ」と感心したように呟いてから、「ふむ」と一つ頷いて、「じゃあ、職員室にいるからね」と、また部室から出ていった。

 肌色を作っているときに、静かな雨音に混じって、廊下とカーボン製の足がぶつかる音が届いた。音は少しずつ近づいてくる。雨の日はグランドを駆けることができないから、彼女は苛立っているかもしれない。絵の具を混ぜる絵筆を見つめながら、これができあがったら手紙を書こうかなと思った。昨日会った友達と、それから風景画の彼に。何を書けばいいだろう。できあがったのを写真に撮って、封筒に入れて送ってもいいかもしれない。考えるのは少し楽しかった。ふと、彼のそばで絵を描く自分が思い浮かんだ。夏休みに入ったら、あの池のある公園に出かけようかなと思う。またスカートを穿いて。今度は絵筆を握って。

 カーボン製の足音が近づいてくる。もうすぐ、彼女が美術室の入り口から顔を覗かせるだろう。わたしは肌色を浸した絵筆を右足に持ち、まだ色の少ないパネルに向かった。真剣だけれど、楽しそうな彼女。とても、すごく、どきどきした。