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2013-02-11

水槽に女子中学生

 これにはある映画のネタバレが含まれています。あるいは猟奇成分が含まれています。頭の中でそんな注釈を入れながら、段ボール箱のガムテープをペリペリと剥がした。

 段ボール箱は一辺三十センチほどの立方体で、一般的にイメージされる段ボール箱よりも一回りか二回りほど小さかった。中には緩衝材の紙屑、それ自体はエアクッションで包まれていた。

 女子中学生は壊れ物だろうか。この世で最も壊れやすいもののようにも、この世で最も強靭なもののようにも思えた。

 最初に目についたのは三つ編みだった。長い黒髪を二つの三つ編みにしていた。それは女子中学生の記号ということかもしれない。だとしたら少し古くさい気もした。彼女は目を閉じていて、ほんのりと微笑んでいるようにも見えた。首から下に女子中学生の記号はなかった。人の記号もなかった。一辺三十センチの立方体には当然のこと、人は首から上くらいしか入らない。

 説明書を読みながら、彼女の喉辺りを持って、カルキ抜きをした水を張った水槽にちゃぽんと落とした。飛ばし読みしていくうちに、三つ編みは解いてもかまわないのがわかった。水槽の中に手を突っ込んで髪ゴムを外し、水をゆるく波立たせながらその髪を梳いた。水槽の中の女の子は、やはり髪をゆらゆらと漂わせているほうが似合う気がした。

 同梱してあった青い溶液を小さなキャップ一杯分入れる。三日に一度、この溶液を入れないといけないらしい。水よりも濃い青が水槽の中で煙のように広がり、溶けてほぼ透明になったところで、女子中学生がぱちりと目を開けた。

 女子中学生は波打った髪をゆらゆらと揺らしながら泳いだ。まるで黒く大きな鰭のついた熱帯魚のようだった。水槽の端で鼻先をぶつけ、折り返すように方向転換する。彼女にこの水槽は少し狭かったかもしれない。

 説明書には別紙として二つ折りの紙が挟んであった。開くと上のほうに『好きなもの』『苦手なもの』と印刷されており、その下に丸っこい文字が綴られていた。この子の直筆だろうか。チーズケーキとシュークリームとラーメン(魚介系スープ)が好きで、トマトとセロリが苦手。

「ラーメン?」

 思わず呟くと、それが聞こえたのか女子中学生は目を輝かせ、こつん、こつん、と水槽のガラスを額で軽く叩き始めた。

 ラーメン。魚介系スープか。インスタントじゃ駄目だろうか。

 不服そうに安っぽいちぢれ麺をすする女子中学生が思い浮かんだ。

川辺に女子中学生

 野良。という言葉には獣のイメージがある。四足歩行で、全身に毛が生えていて。鶏なんかも野良のイメージでいい気がする。二足歩行で翼があって羽毛が生えて。でも鶏以外の鳥は違う気がする。野鳥と言う言葉もあるし、やはり鳥だと鶏以外に野良は似合わない……いや、ペンギンも野良でいいかもしれない。共通点は飛べない鳥ということだろうか。

 そんなことをつらつら考えながら、わたしは家の近所の川辺に、いつもの場所にしゃがみ込んだ。持っていたスーパー袋をすぐ隣に置く。がさがさぱりぱりという音がして、けれどすぐに収まった。背後に堤防があって、町の音が遠い。はぁっと浅く息を吐く。川のすぐ傍は空気が冷たい。頬がひんやりとして、うっすらと痛かった。目の前の川を眺める。二十五メートルプールよりもずっと幅広い。対岸まではどのくらいだろう。冬だろうが夏だろうが、泳いで渡ろうとしたら、溺れて流される自信があった。向こう岸にビルの灯りが見える。冬の夜はやってくるのが早く、もう辺りが薄暗くなっていた。

 スーパーの袋をがさごそして、中からポッキーを取り出した。おにぎりと新発売のポテトチップスとペットボトルのお茶も取り出して、川辺に適当に転がした。レジ袋をお尻の下に敷いて座る。冷たい土と砂利の感触があった。

 ポッキーのパッケージを開けて、中の袋も開けて、中の一本を取り出すと、歯でパキンと鳴らした。そうしてわたしは鯉を思う。お金持ちの家で飼われている池の鯉。手を叩くとそれが餌の合図で、池から顔を出して口をパクパクさせる。パキンともう一度鳴らす。このポッキーの音もいつの間にか合図のようになっていた。パキン。

 薄暗い中、川が静かに波立って、何かがその中を泳いでくるのがわかった。川魚にしては大きい。金魚のように揺らめきながら、ちゃんとわたしのほうに向かっている。水のフィルター越しに見えるその姿は黒々としていて、知らない人が見ればナマズかと思うかもしれない。彼女は浅瀬まで泳いできて、わたしを見つけると鯉のように口を開けた。わたしはそっと手を伸ばし、冷たい川から彼女を掬い上げた。長い黒髪が水を滴り落としながら、彼女の頬に貼りついて、滑ってまた流れる。

 観賞用の女子中学生は首から上しかない。本来は水槽の中で飼われていて、特殊な溶液がないと数日しか生きられないはずだった。けれども今わたしが掬い上げた女子中学生は、かれこれ二ヵ月は生きている。野生化した、野良の女子中学生だ。

 野良の女子中学生は半年ほど前にネット上で話題になっていた。川や海で女の子の首が流れているのが何度か目撃された。実際は流れているのではなく泳いでいるのだけれど、そんなのは見分けがつかない。連続猟奇殺人かという煽りに対し、識者……というか、たまたまそれを知っていた人間が説明した。

 あれは観賞用の女子中学生で、飼えなくなった無責任な誰かが川に放したのだろう。それ用の溶液がないと長くは生きられないので、数日もすればいなくなるだろう。

 しかし、数日経っても、数か月経っても、観賞用の女子中学生はちらほらと目撃された。そうしてネット上での無駄に楽しそうな罵り合いが始まり、その末に、詳しいことはわからないが、きっと放された多くの女子中学生の中に、自然に対応したのが何種かいたのだろう、というところに落ち着いた。今は飽きられたのか、特に話題に上ることはなくなっていた。

 わたしの両手の中の女子中学生は、わたしが咥えているポッキーを見据えながら口をパクパクさせていた。顔を近づけて、ポッキーの反対側を彼女の口元に持っていくと、歯を立ててパキンと鳴らした。チョコのついていないところだったので、彼女はまた薄く口を開ける。軽く彼女を持ち上げて顔を近づける。パキンとポッキーのチョコのついている部分が鳴った。彼女はさくさく口の中でスナックを鳴らしながら、幸せそうな顔をする。

 観賞用の女子中学生も、人と同じものを食べるのだそうだ。お菓子をあげてもかまわないのだけれど、やはりご飯のほうが良いらしい。わたしは彼女を川辺に置くと、転がしていたおにぎりを手に取った。

 海苔をパリパリしながら、斜め後ろから彼女の横顔を眺める。わたしも彼女の川のほうを向いていた。彼女は水からあげても苦しそうにしないのだけれど、多少心配なので、必要がない限りは浅瀬の水のある、手の届くところに置いておくことにしていた。今はおにぎりをむぐむぐして頬をふくらませている。

 おにぎりを食べ終えてから新発売のポテトチップスを開けた。ゆず胡椒とぽんず味だった。よく確かめないで買ったわけだけれど、彼女の評価はどうだろうか。片手の指先を浅瀬につけて、彼女の口元にポテトチップスの一枚を持っていく。パリン、サクサク。としたあとで、数秒難しい顔をして、それから小さく頷く仕草をした。まあ、悪くないんじゃない、といったところだろうか。

 ほとんど日が沈み、川の不気味さがじわじわと染み出てきたところで、くしゃみが出た。ポテトチップスも大方わたしと彼女で噛み砕いてしまったので、わたしは立ち上がって彼女に手を伸ばした。顔を正面に合わせて、彼女の濡れた髪を指で軽く梳いてやると、彼女は犬や猫のように気持ちよさそうに目を細めた。水棲生物のはずなのにね、と胸の中で呟く。

 また彼女を浅瀬に置いて、押し出してやると、ちらりとわたしのほうに目をやってから、ゆらゆらと川の中に泳いでいった。ゆっくりと視線を巡らせると、川の真ん中辺りに黒い影が泳いでいるのが見えた。そっちの彼女はショートボブのようだった。彼女を迎えにきたのかもしれない。

 想像はする。

 川の中には大勢の、首から上だけの女子中学生がいて、待ち合わせをしたり、集まったり、じゃれ合ったり。わたしや他の人が知らない場所で、その暮らしを楽しんでいる。ときに彼女同士でいがみ合い、すれ違ったり、悲しんだりもする。陸に棲む彼女たちと同じように、首だけの彼女たちが集まり、じゃれ合っては、はしゃいでいる。

 その光景はきっと不気味なのだろう。けれど、わたしには同時にどこか微笑ましくも感じられた。

 川の中を泳ぐ二つの黒い影は、仲のいい犬がじゃれ合うように体をこすり合わせたあと、並んで下流に泳ぎ出し、やがて川の底へと消えていった。

2012-06-17

作り話

君は神隠しにあった。四年前の小学四年生のときだ。ぱらぱらと細かな雨が降っていた梅雨の日、ふらりといなくなった。最後に君の姿を見たのが僕だった。雨の中を元気に駆けていった。教科書の入ったランドセルがカタカタ鳴っていた。四日間いなくなっていた。君はその四日間を憶えていなかった。


あたしは神隠しにあった。と彼は言った。四日間いなくなっていた。その四日間をあたしは憶えていないことにした。でも大したことはしていない。知らないおじさんと旅をした。「おじさん」と呼ぶとちょっと悲しそうな顔をする人だった。知らない場所にいって、おいしいものを食べる。正しく旅だった。


いなくなって、帰ってきたあと、君はどこか少し変わったように思えた。何がどう変わったのかわからないけれど、僕はあの日駆けていった君と、戻ってきた君が同じだとは思えなかった。顔立ちも、背の高さも、髪の長さも、声も、全部同じなのに、全然違う女の子のように思えた。何か違っている気がした。


そんなに違っているかな。と彼の言葉を聞きながら思った。おじさんとしたことで、ちょっと変わったこと、楽しかったことといえば、泊まっていた宿で、夜に作り話をしたことだった。おじさんはあたしや彼みたいな子供が出てくる話をたくさん作った。あたしや彼がひどい目に合う話をたくさん作った。


誰も君を変わったようには見なかった。君のお父さんやお母さんも、同じ女の子であるように扱った。こんなのただの思い込みかもしれない。そう思った。でも……。君と僕は飼育委員だった。学校でうさぎを飼っていた。夏休み、交代で世話をすることになっていた。君と僕は同じ日の当番だった。


あの話のせいかも。と彼の言葉を聞きながら思った。浴衣を着ていた。温泉に入ったあとの温もった身体を夜風で冷ましていた。旅館のそばにあった石段に腰かけて、おじさんとただぼんやりした。しばらくそうしてから、あたしは自分の腕をぺちんと叩いた。遅かった。刺された蚊の跡がぷくりとふくれた。


うさぎが逃げた。網の張った小屋に入れているのだけれど、出入り口を閉めるのを忘れていた。僕と君は慌てて追いかけた。君のほうが気づくのが早かった。校庭は広く、うさぎは素早かった。捕まえたのは君だった。伸ばした君の手がほぐれて紐の束のようになるのを見た気がした。


おじさんは染み込むように話した。あたしがひどい目に合う話をした。蚊に刺された跡から細くて柔らかい絨毯の毛のようなものが生えてきて、それが徐々に増えて腕に広がっていく。色は白だと言った。でも先はオレンジっぽい。濡れていて、海のにおいがした。イソギンチャクだとおじさんは言った。


それは一瞬のことだった。逃げたうさぎはいつの間にか君に抱かれていた。うさぎはただきょとんとしていた。やっと捕まえた、と君は微笑んだ。それを見て、さっきには見間違いだったんだと思った。君が小屋に戻ろうとして僕とすれ違ったとき、微かに海のにおいがした。うさぎは少し濡れていた。


イソギンチャクは腕から肩に、胸に、全身に広がった。あたし自身がイソギンチャクになった。白くて先が少しオレンジっぽいイソギンチャク。前にそんなのをテレビで見たことがあった。ゆらゆら気ままに波に揺られて、かわいらしかった。波に揺られたい気分になった。あんまりひどい話じゃなかった。


あれは本当に見間違いだったんだろうか。ずっと気になっていた。小学校を卒業してからも、君を見かけるたびにあの日のことを思い出した。海のにおい。どうして君から海のにおいがしたんだろう。君の腕が紐の束みたいになったのは。君は本当に、僕がずっと昔から知っている君なんだろうか。


おじさんは彼の話も作った。イソギンチャクになったあたしが彼を食べる話だ。イソギンチャクは魚を食べる。毒を持ったイソギンチャクもいて、動けないように痺れさせる。彼はあたしが捕まえた魚だった。もう毒が回って痺れている。あたしはゆっくりじわじわと味わって食べる。


もちろんこれはおじさんがした話だ。ただの作り話。

2012-05-29

ゆび祭り

 供物として膳に盛られた人の指のようなもの。あれは焼き菓子なのだそうだ。あまり生々しくは見えないよう、ある程度簡素に作られているそうだが、遠目から見るとやはりどこか異様に思えた。指の大きさ、形にされた焼き菓子に、爪として端にうっすらと白い飴が塗られている。神主の祈祷が終わったあと、それは社に集まった者たちに振る舞われる。

 巫女服姿の十四、五の女の子に小皿を差し出され、私はそれを軽く会釈しながら受け取った。小皿には小さな和紙が敷いてあり、その上に焼き菓子が一本載っていた。周りからはすでに焼き菓子を噛み砕くさくさくという音が響いており、特に作法もないようなので、私も同じように指の形をしたそれを口に運んだ。ほのかに甘く、しかし市販の焼き菓子よりもずっと甘味は抑えてあるようだった。あまり甘くてもありがたみがなさそうなので、これはこういうものなのだろう。

 食べ終わって社から出ていく人もちらほらと見受けられ、必要な儀式はこれで終わりのようだった。私自身部外者ということもあり、焼き菓子の残りを口の中に押し込むと、倣うように社の出口へ向かった。その途中、親戚らしき男性と話をしていた彼女が私を見つけ、話を切り上げてポニーテールを揺らしながら駆け寄ってきた。

「どうでした?」

 彼女が小さく首を傾けて言う。ここは彼女が生まれ育った村だ。私が住んでいる場所からは電車を乗り継いで四時間ほどかかる。

 彼女は大学の後輩に当たる。あるとき、彼女の村に「ゆび祭り」という奇妙な祭りがあることを聞き、また、ちょうど里帰りの時期にその祭りがあるとも漏らしたので、それに同行させてもらえるように頼んだのだった。私はこうした地方の祭りや伝承を見聞きするのが趣味で、似たようなことは何度かやっていた。

「興味深かったよ」

 そう言いながら靴を履いていると、彼女は土間を見渡して自分の靴を探した。外を案内してくれるつもりなのかもしれない。

「まあ、どこにでもあるお祭りですけど」

「いや、けっこう珍しいんじゃないかな」

「うーん、そうですか? あたしとしてはそう珍しいものだとは……」

「まあね。その土地の人間にとっては、珍しくも何ともないものかもしれないけどね」

 社の正面にある短い石段を下りると、左右に夜店が立ち並ぶ石畳に出た。焼きそばやわた飴、射的や金魚すくい、夜店の種類に珍しいものはなかった。村の人口がどのくらいなのかはわからないが、それなりに人は混み合っていた。

「ずうっと昔は、また違う感じだったと思うんですけどね。あたしのころは、お祭りの前に『ゆび巫女』っていうのを選ぶんですよ。村の子供の中から、毎年一人」

「へえ」

 彼女の話を聞きながら、私はすれ違った老女を目で追っていた。老女は黒い手袋をはめていた。見渡すと、人混みの中に手袋をはめた人間を何人か見つけた。年配の人に多いようだった。

「あたしも選ばれたんですけどね。確か……、十二のときに。十五歳以下の子供の中から選ばれるんです」

「へえ、ゆび巫女。……で、その、ゆび巫女に選ばれるとどうなるの?」

 そういえば、焼き菓子を配っていた、あの巫女服姿の女の子も白い手袋をはめていた。

「ゆび巫女はですね、指を……あっ」

 話の途中で彼女は空を見上げた。つられて私も見上げると、目の横に冷たい何かが落ちてきた。

「雨……ですね」

「雨だね」

「うーん、本降りにはならないって、天気予報では言ってましたけど」

「あんまりあてにならないからなあ、天気予報は」

「ですね」

 彼女は雨を確かめるように、てのひらを空に向ける。その紺色の手袋をはめた彼女の手にも、また雨がぽつりと落ちた。

2012-05-09

キルト

 死体に、寒そう、なんて言うと妹に笑われるかもしれない。口の端を上げて、鼻を鳴らすように。妹は普段から皮肉屋を気取る性質なので、その表情は想像しやすかった。

 見つけた死体は二本の太ももだった。線路沿いの歩道に並べて捨てられていた。太ももには女性の柔らかな丸みがある。地面に当たっている部分がひしゃげて平べったくなっていて、椅子に座るミニスカートの女の子が浮かんだ。この太ももは体と繋がっていない分、ひしゃげ具合も少ないのだけれど。

 いつも鞄に入れているビニールバッグを取り出し、死体を詰めると帰路を急いだ。バッグを胸の前に持ってきて、ビニール越しに死体を触る。まだ温かかった。僕は地面に横たわる自分の姿を思い浮かべ、寒そうだったのですぐに打ち消した。


 リビングにいた妹に防腐処理を頼むと面倒くさそうな顔をされた。最近生意気になりつつある中二の妹は、死体の防腐処理がとても上手い。小学生の頃からの経験によるものだ。

「あ、そだ、兄貴」

 リビングを出たところで呼び止められた。

「ん?」

 僕は立ち止まって顔だけを向ける。

「ヨリちゃん憶えてる?」

「ああ、うん」

 幼馴染だ。ただ小学校を卒業したと同時に引っ越して、以来四年間会っていない。

「ヨリちゃんのお母さんから電話があって、死体になったんだって」

「……へえ」

「んで、死体分けしたいから連絡してって」

「ん、わかった」


 死体組みは接着剤とホチキスを使うのが簡単だけれど、僕は糸で縫い合わせるやり方を好んだ。糸の柔らかさや、ある程度手間がかかる、その手作業感がよいのかもしれない。縫い目が少し盛り上がるところも好きな要素だ。

 死体分けでは頭をもらった。頭はお墓に入れるか親族が所有するのが一般的だけれど、僕の持っている死体に頭がないことを知ると譲ってくれた。断りはしたけれど、そのほうが頼子も喜ぶだろうと押し切られた。きっと親しかった誰かに死体組みの一つとして使ってほしかったのだろう。そうした考えの人も最近は少なくない。

 ベッドに置いていたヨリちゃんを持ち上げる。面影はあるものの、四年分だけ大人っぽくなっていた。もう少し連絡を取り合っていたらよかった、などと思うのはただの感傷だろうか。

 ヨリちゃんの首の端に糸をつけるところを想像した。ヨリちゃん、どんな声してたっけ。どんな表情浮かべてたっけ。僕は思い出しながら、小さなヨリちゃんを死体たちの上にそっとのせた。

2011-10-29

隻腕

「彼は昔、田舎に住んでいた。小さな駅を降りて、駅から離れたらもう田んぼばかりの風景が広がり、ぽつんぽつんと民家が建っているような田舎。どこを向いても山の景色が見え、大通りは舗装されていたけれど、脇道を少し進むともう砂利道で、大抵は山へと続く上り坂になっていた。……もちろん、私は実際そこを見たわけじゃないから、これは全部彼に聞いた話だけどね。

 小学生のころ、彼の遊び場は学校の校庭か山の中だった。その日、彼は友達と二人で山を散策していたけれど、途中でその友達は用事があると言って帰ってしまった。一人、山の中で遊んでいてもつまらない。けれどこのまま帰るのも勿体ないような、悔しいような気持だった。そうして彼は一度も使ったことのない獣道に足を向けた。

 ちょっとした探検。次の日、友達に自慢するための冒険。何もなかったら引き返すつもりで進んでいく。背の高い草や葉の繁った木が彼の視界を狭くしていた。迷いようのないただの一本道に思えた。進んで進んで、けれど何もなく、疲れてきたころに引き返そうとして振り返る。しかし一本だと思っていた道は、逆から見ると何本にも分かれていた。川の源流が支流へと枝分かれするように。彼が進んできた道は、その支流の一つだった。

 辺りは薄暗くなっていた。彼は不安を抑えながら、歩いてきた道を、歩いてきたと思える道を引き返す。この道でいいのか、この道で合ってるのか。分かれ道で迷い、片方に一歩を踏み出して、思い直してもう片方の道を進む。夜が近づく。けれど彼は獣道をさまよい続ける。疲れ果て、足が棒のようになり、彼は途中の木の根元にへたり込んだ。

 もう一生、ここから出られないんじゃないか。へとへとの頭でそんなことを思う。早く帰ろう。帰りたい。見る間に暗くなる空と焦燥感に押され、彼は少し休んだだけで立ち上がろうとする。地面に手をつくと、てのひらに妙な感触があった。土の感触ではない。ゴムのような感触。冷たい。恐る恐る目を落とすと、土に汚れた肌色が見えた。

 手だった。ほっそりとした女の手に見えた。ほとんどが埋まって、手の甲と何本かの指だけが地面から浮き出ていた。彼は息を止め、その手の甲についた土を払う。そのまま地面を掘り始める。宝石のように綺麗な手だった。それは彼にとって、冒険の末に見つけた宝物のように思えた。

 そのあとどうしたか、彼は憶えていないと言っていた。ただ、彼が今も生きていることを考えると、どうにかして家には帰れたのだろうね。

 彼が見つけたと言う女の手、あれは一体何だったんだろう。あれは本当に人の手だったんだろうか。彼は本当に掘り起こしたんだろうか。もしかしたら全部、子供のころに見た、夢か幻だったんじゃないだろうか。

 今でも彼は、あの手のことを思い出し、考え込むことがある。自分の手に残ったゴムのようなあの感触も、幻だったんだろうか、と。

 そしてそれが、その記憶が、彼が私に興味を持った一番の理由だろうね」

 そう言うと彼女は慣れた仕草で、左手の形をしたシリコンに自分の右手の指を絡めた。

「彼の想像の中にある私の手は、宝石のように綺麗なんだろうね」